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引きこもり、自室が唯一の居場所でいいの?

先日のセミナーで、まず引きこもる実家から一人暮らしに出して、自立に至ったケースをご紹介しました。
家を出るとエンジンが回り出す、というお話もしました。

とは言っても、家を出すのは大変……というお気持ちは分かります。
こちらも支援しながら、そこに苦慮します。

ただ今回のセミナーのアンケートに、このような質問がありました。

「自室が唯一の居場所という考えもあります
一人暮らしをすすめることで、追い出された感を持つことはないのでしょうか」

この質問に対する回答を、コラムとして書かせていただこうと思います。

自室は本当に居場所なのか?

「引きこもりは苦しかった」と言う寮生たち

引きこもりの人の大半は、1日の多くの時間を自室で過ごしています。
なら自室が居場所、居心地のいい空間なのではないかと考えるのももっともです。

ですがいざ入寮してきた若者たちに聞くと、実はそうでもないようです。

まず引きこもっていた時間を、大半の若者たちが「苦しかった」と言います。
本当に自室がいい居場所なのであれば、そこにいる時間は苦しくないはずです。
ですが実際は、自室でも彼らは苦しんでいます

ただ、家の外に出ると周囲の目が、家のリビングなどにも家族の目があります。
とりあえず自室に逃げ込むと、人の目からは解放されるのは確かです。

ですが1人になってもどうしても色々と考えてしまうため、更にゲームに逃げ込みます。
それでも全ての思考から解放されるわけではなく、苦しみが続きます

引きこもりの人たちの多くは、このような心理状態にあります。
これで本当に自室が居場所だと言えるのでしょうか

寮生の「自室が一番マシだっただけ」という言葉が、一番しっくりきます。
自室とは、消去法でそこに居るしかないだけで、安心安全な居場所としては機能しているとは言えないのです。

入寮して見せるホッとした顔

苦しみながら自室にいるしかない彼らの大半は、自ら外へ飛び出すこともできません
外の世界への恐怖心や、そこでやれるかどうか自分への不安があるからです。

ですから、誰かに何とかしてほしい、連れ出してほしい気持ちが、心の底にあります。
でもその気持ちを口に出すことはありません。
自ら口にすると、外へ出なければいけない状況になってしまうからです。

なので周囲が一方的に決めてしまう、または動くしかない状況ができると、嫌だけど仕方がないなという表情で家を出ます。

時には強い恐怖心から抵抗する人もいます。
ですがいざ寮に来ると、ホッとしたような表情を見せる人がたくさんいます。

また寮生活を送るうちに、「引きこもっていた当時は分からなかったけど、自分は苦しかったんだ」と気付く人もいます。
麻痺していた感覚が、だんだんと戻ってきたのでしょう。

もちろんそんな彼らは、「親に居場所から追い出された」などとは思っていません。
動けない苦しい空間から、やっと出ることができたのです。

自立して「自分の城」を持つ

「自室は居場所ではなかった」と思うタイミングは、家を出た時だけではありません。
支援が終わり、自立していく時も、その一つです。

働いて自分で家賃を払い、やっと得た「自分の城」
そこで過ごすうちに、「実家は親の家で、自分の居場所じゃなかったな」と気付きます。

実際に、自立し自分の力で暮らしていけるようになると、実家に戻ってまた親と同居する道を選ぶ人はほぼいません
あの自室は、引きこもって苦しい時間を何年も過ごした、嫌な思い出の場所なのです。

引きこもりの真っ最中は、そこにいるしかないので、自室が唯一の居場所にはなります。
ですが自立をして引きこもり状態を抜け出すと、当時を客観的に見ることができるようになります。

その時に、実家の引きこもっていた自室を、居場所だったと思えるかどうかです。

「押し出してくれた親に感謝している」

「追い出された感を持つことはないのか」という疑問への、これが最終回答と言えるのではないでしょうか。

「自分ではどうにもできなかったので、押し出してくれた親に、今は感謝している」

こう話してくれる卒業生が、本当に多いのです。
自ら望んで入寮した人は1割もいないため、ほとんどが仕方なく、または拒否の末に入寮した人たちです。

親御さんには直接感謝は伝えたりはしないでしょう。
でも愛情で苦しい決断をしてくれた事実は、きちんと伝わっているものです。

むしろ本人がこちらを探してきたような人ほど、「親は何もしてくれなかった」と言います。
親への根強い不信感を抱えている印象があります。

本当に苦しい自分を救い上げることよりも、親自身の手を汚さないことを選んだと感じているのかも知れません。

自室だけが居場所でいいのか?

たった一つの居場所、そこから出られない

前の章では、「自室が本当は居場所ではない」という人について説明しました。
今度は、私自身はあまり見たことはないのですが、「自室が居場所」という人の場合です。

自室が居場所だと思えているのは、大事なことです。
でも居場所があるのに、いつまでも引きこもりが続いているなら、どうなのでしょう。

居場所は、また外へ出るためのエネルギーチャージをする場だと思います。
居場所があるからまた頑張れる、そういう場であるべきです。

唯一の居場所の中に閉じこもり、その場を守ることに一生懸命になっては、本末転倒です。
居場所の存在がマイナスに働いてしまっています

行き場のない8050に

自室が唯一の居場所で、そこから出られない。
そうやって年齢を重ねていく。

その状態の行きつく先は、8050です。

8050は、親に何かあれば、孤立することになります。
そうなる前に、何とか外とのつながりを作ることが必要です。

外につなごうとしても、居場所である自室から出てこない。
そんな状態なら、いっそその居場所がない方が、いいのではないでしょうか。

居場所がなくなると、外に出るしかなくなります。
そこで新しいつながりが生まれる可能性も出てきます。

確かに「追い出された」という感情を持つかもしれません。
でも後々孤立させないことの方が、大切ではないでしょうか。

追い出されたと思ってはいるが、代わりに外につながりができた
追い出されずそういう感情も持っていないが、親以外との接点はないままいつか8050に。

親として、どちらの道を選びますか。

居場所を自分で得る「社会力」を

親が用意した居場所は、いつかなくなる

大前提として、親元の自室は、親が提供しているものです。
その環境は、いつかなくなります。

賃貸に住んでいるなら、契約者がいなくなる時が来ます。
持ち家で、本人にうまく相続させていたとしても、維持管理はそう簡単ではありません
どちらにしても、外と接する様々な雑務や、支払いが発生します。

親が色々やってくれて、何もせず、引きこもっていても住める。
そんな環境は、親という支えてくれる誰かがいないと、成立しません

外に出て最低限度の手続きはできないとどうしようもないですし、煩雑な手続きを全て把握するのは難しいので、困ったら誰かに相談できる力も必要です。

親御さんは我が子に居場所を提供し続け、遺すことより、やるべきことがあるはずです。

引きこもり支援の居場所も不安定なもの

最近は引きこもり支援で、居場所をどんどん開設する流れがあります。

著書『コンビニは通える引きこもりたち』にも書いたのですが、居場所の運営はかなり大変だと思っています。
引きこもりの人はこういった場になかなか出てこないですし、いざ参加してもメンバーがある程度固定すると同調圧力が生まれやすくなります

ですが居場所の増加ペースはかなりのもので、これは流行と言っていいでしょう。
流行とは、すなわち一過性ということです。

行政の事業であれば、費用対効果を見てあっさりと終了する可能性も十分あります。
補助金で民間団体が運営している場合は、補助金が打ち切られるかも知れません。

今どんどん増えている居場所が、例えば5年後に、どれほど残っているのだろうと思うのです。

近くに居場所があるなら、利用してみるのはいいでしょう。
多くの居場所が「きっかけに」と謳っており、何かを課されることのない場は、引きこもりから外へ出る一歩目には適しています

ただできれば居場所で元気になって次のステップに動く誰かとつながりができるなど、その空間がなくなっても残る何かを得てもらいたいものです。

せっかくできた居場所も、ずっと存在し続ける保証はどこにもありません
これは親の家の自室と同じ、「誰かに提供される場」の宿命です。

自分で得た「自分の城」

自立し自分で稼いで契約をした部屋は、立派な「自分の城」です。
振り返って「実家の自室は居場所じゃなかったな」と思えるほど、自分だけの心地のいい居場所です。

大事なのは、「自分の力で得た」ということです。

自分の力で成し遂げたのであれば、そこには再現性があります
今の職や部屋に何かあっても、自分でまた次の居場所を作ることができます。

著書『コンビニは通える引きこもりたち』の中で、「社会力」について説明しています。
社会力とは、今ある社会に適応する社会性とは違い、自分で社会を作っていく力です。

引きこもり支援で大事なのは、社会性ではなく社会力をつけることだと思っています。

自分で働き、部屋を借りる力は、まさに社会力の一環です。
支援である居場所で人とつながり、関係性を作る力も、社会力です。
自立生活を送り、人や外の世界と関わり続けることで、社会力はもっと伸びていきます。

親が提供する自室で引きこもっているだけでは、社会力はつきません
自分の力で居場所を得ていく力は、いつまでも育たないままになってしまいます。

居場所とは、自分を認めてくれる人

そもそも、居場所とは何なのでしょう。

私は、空間ではなく、「自分を認めてくれる人がいるところ」だと考えています。
いわば人そのものです。

例えば、仲のいい友人と会える空間は、その時々のお店など、どこであっても安心できる居場所になります。
自分で借りた部屋も、雇用先の人や大家さんなど、多くの人に認められた証明とも言えます。

本来の居場所は、誰かに提供してもらうものではありません
人との関係性を作り、自分の社会力で得ていくものです。

もちろん未成年であれば、親などに提供された居場所が中心となります。
そこから大人になるにつれ、自分で得た居場所を増やしていきます

ただ、親など誰かに与えられた場が唯一の居場所だと、無くなった時のリスクはかなり大きくなります。
その時に自分で居場所を得る社会力も育っていなかったとしたら、どうなるでしょうか。

それでも、「自室が唯一の居場所だから」と、引きこもる我が子をそこに留めることを選びますか?
親が提供する自室という、唯一の居場所の中に引きこもっていて、社会力は育ちますか?

まとめ

「自室が唯一の居場所という考えもあります
1人暮らしをすすめることで、追い出された感を持つことはないのでしょうか」
この問いへの回答です。

まず、寮生たちの大半が、「引きこもりは苦しかった」と言います。
彼らは自室でも苦しんでおり、自室が居場所として機能していないと言えます。

自室は彼らにとって、「そこが一番マシだっただけ」のようです。
いざ自立をして、自分の城を手に入れると、「自室は自分の居場所ではなかった」と気付く人もいます。

入寮した時にホッとした顔を見せる人はたくさんいます。
「押し出してくれた親に感謝している」と話してくれる人も、たくさんいるのです。

そして自室が居場所である人の場合です。
居場所があるのに、いつまでもエネルギーチャージができず、外に出られないとしたら。

外の世界につながれず、その唯一の居場所に引きこもり続けるなら、その行く先は8050です。
その居場所を追い出してでも、外につなぐ必要があるのではないでしょうか。

そして親が提供した自室という居場所は、親に何かあれば、なくなってしまいます
うまく家は遺せたとしても、外に出て様々な雑務ができければ、居場所の維持はできません。

現在増えている居場所事業も、いつまでも存在する保証はどこにもありません。
誰かに提供してもらう居場所は、いきなり無くなる可能性と隣り合わせです。

そもそも居場所とは、自分を認めてくれる人、その人がいる場所だと思います。
働く、部屋を借りる、誰かとつながるといった「社会力」で、自分で得ていくものです。

社会力がついていれば、ひとつの居場所がなくなっても、自分でまた次の居場所を見つけていけます

自室の中に引きこもっていて、社会力がつくのでしょうか?
選択に悩んだら、「社会力がつく方」を選んでいただければと思います

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執筆者 : 久世 芽亜里(くぜ めあり)

久世芽亜里

認定NPO法人ニュースタート事務局スタッフ。青山学院大学理工学部卒。担当はホームページや講演会などの広報業務。ブログやメルマガといった外部に発信する文章を書いている。また個別相談などの支援前の相談業務も担当し、年に100件の親御さんの来所相談を受ける。

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