「自立ではなく自律」と言いたいだけ? ひきこもり支援ハンドブック~寄り添うための羅針盤~感想

「ひきこもり支援ハンドブック~寄り添うための羅針盤~」が、1月末に自治体に通知されました。

厚生労働省のサイトではこの全文のデータは見あたりませんでしたが(見つけた方教えてください!)、岩手県・高知県・香川県など、いくつかの自治体のサイトでPDFをダウンロードできます

今回は、実際に完成したハンドブックを見た、その感想を述べていければと思います。

「引きこもり」の定義は一切なし

ハンドブックは、表紙も含め147ページというデータ量で、読むのはかなり大変です。

74ページ(ページ番号では68ページ)以降、半分を使って30の事例を紹介しています。
前半に支援対象者や目指す姿、支援のポイントなどが記されています。

その前半部分で支援対象者は、このようになっています。

ひきこもり支援における対象者とは、社会的に孤立し、孤独を感じている状態にある人や、様々な生きづらさを抱えている状態の人となります。それぞれ一人ひとりの状況は違いますが、具体的には、
★何らかの生きづらさを抱え生活上の困難を感じている状態にある、
★家族を含む他者との交流が限定的(希薄)な状態にある、
★支援を必要とする状態にある、
本人やその家族(世帯)です。また、その状態にある期間は問いません。

(ひきこもり支援ハンドブック~寄り添うための羅針盤~より)

2010年のガイドラインを用いた定義は下記のように、「概ね家庭にとどまり続けている状態」という表現がありました。

様々な要因の結果として、就学や就労、交遊などの社会的参加を避けて、原則的には6ヶ月以上にわたって概ね家庭にとどまり続けている状態のこと。(他者と交わらない形での外出をしている場合も含む。)
(ひきこもりの評価・支援に関するガイドラインより)

今回はこれに近い言葉はなく、「ひきこもり状態にある人」といった言葉もありません
期間の定義を外すだけでなく、家庭にとどまり続ける引きこもりという状態像からも外したような内容です。

(ガイドラインなどひきこもりの定義を細かく知りたい方はこちら)

つまり実質的には、孤立・孤独支援、生きづらさ支援となっていると言えるでしょう。

ただし冒頭のQ&Aには、「ガイドラインと今回のハンドブックは併用していただくことを想定」とあります。
ガイドラインの定義も一応は適用される、ということかもしれません。

対象者が広がりすぎることへの懸念はありますが、今回のコラムで一番お伝えしたいことは別にありますので、この話はここで終えます。

ひきこもり支援のゴールは就労だけではない

このハンドブックにある、「ひきこもり支援の目指す姿」がこちらです。

ひきこもり支援では、本人やその家族が、自らの意思により、今後の生き方や社会との関わり方などを決めていくことができる(自律する)ようになることを目標とします。
本人が社会参加を実現することや就労することのみを支援のゴールにはせず、自律に向かうプロセスとしてとらえることが必要です。

ここで言う自律は、「自身を肯定し、主体的な決定ができる状態」のことを指します。
支援する際には、支援者も本人やその家族も、ともに「自律」することができるよう、互いにプロセスを共有していきます。

(ひきこもり支援ハンドブック~寄り添うための羅針盤~より)

「社会参加や就労のみをゴールとするべきではない」という話は以前からありましたし、私個人も同意します。
ニュースタートの支援でも、経済的自立以外がゴールになるケースはあります

「自身を肯定し、主体的な決定ができる状態」も、ゴールの1つに違いありません。
私が本やイベントでずっとお伝えしているのは、「社会参加や就労が可能な人は、世間一般のイメージよりも実は多い」という話です。

ただ、「自身を肯定し、主体的な決定ができる状態」を「自律」と表現することは、かなり違和感を覚えます。

「自律」の本来の言葉の意味は

広辞苑における「自律」の記載は、こちらです。

自律 : 自分の行為を主体的に規制すること。外部からの支配や制御から脱して、自身の立てた規範に従って行動すること。

自律とは自分を律するとも言い換えられますが、「律する」の広辞苑の記載はこちらです。

律する : 一定の規範を設けて統制・管理する。「おのれの行動を―・する」

「自律」という言葉から受けるイメージは、自分をきちんとコントロールして、欲望や感情を抑えて目標に向かって行動する、という感じではないでしょうか。

その目標の中身が、自分で決めた規範に沿って、ということになります。

つまり「自身を肯定し、主体的な決定ができる状態」は、「自律」の一側面でしかなく、言葉全体を表していません。

「自身を肯定し、主体的な決定ができる状態」という言葉から受ける開放的なイメージに対し、逆に「自律」は気持ちが引き締まるような、背筋をピッと伸ばすようなイメージがあります。

「自身を肯定し、主体的な決定ができる状態」を表すなら、単に「主体的に生きる」でもいいですし、「自己決定できる状態」や、「自己実現」などでもいいように思います。

ここにわざわざ、少しイメージの違う「自律」という言葉を、なぜ持ってきたのか。

失礼かも知れませんが、「自立ではなく自律」というキャッチフレーズを言いたかっただけではないのか、という疑念がどうしても湧いてしまいます。

「自立ではなく自律」で心配なこと

改めて、自立ではなく自律を目指すことで懸念される事項を、4つ挙げておきます。

口頭で自立か自律かの区別がつかない

自立と自律は「じりつ」という同じ発音であるため、例えば対面相談で話した「じりつ」がどちらか判別がつきません

いちいち「経済的自立」「自分を律する自律」などと話す必要があります。

言葉を取り違えたまま会話が進むと、目標などの共通認識にもズレが生じる可能性や、混乱を呼ぶ可能性があります。

自律の意味を取り違えてしまう

自律という言葉が本来持つイメージとは違う状態を目指すことになるため、わざわざ「自身を肯定し、主体的な決定ができる状態」と説明する必要があります。

これもやはり、目標などの共通認識にズレを生む要素です。

私と同じように、そのイメージの違いに違和感を覚える人もいるでしょう。

自立より自律の方が難しい

ハンドブック内でも「社会参加や就労は自律へのプロセス」と書いています。

経済的自立より自律が難しいと認識しているのでしょうし、一般的にも同様でしょう。

自律の方が、自己の内面、自分自身とより向き合うことになります

本当の自律を目指す旅には終わりがなく、支援者はその旅に寄り添うことになります

自律とは抽象的なため、具体的な支援計画も立てにくくなる可能性があります。

本人と支援者で目指す方向性に、ズレが生じるかも知れません。

自律できたという判別が難しい

自律そのものの難しさに加え、支援者など第三者からの判別の難しさもあります。

自立できたかは経済面を見れば一目瞭然ですが、自律は内面のことであり、抽象的です。

支援者が「じゅうぶん自律できている」と思える状況でも、本人が自身の肯定や主体的な決定だと納得できていなければ、支援が必要ということになります。

自律というゴールは、あってないようなものと言えます。

だからこそ「寄り添い続けましょう」というスタンスのハンドブックになったのかも知れません。

まとめ

「ひきこもり支援ハンドブック~寄り添うための羅針盤~」に、以下のような感想を持ちました。

  • ハンドブックは対象者を広範囲に捉えており、それによる懸念がある
  • 支援目標が社会参加や就労だけではないことは理解できるが、「自律」でいいのかは疑問がある
  • ハンドブックで使用されている「自律」が、本来の言葉の意味と合致していない
  • 「自立」と「自律」は発音が同じであるため、口頭でのコミュニケーションにおいて誤解が生じやすい
  • 「自律」は抽象的で評価が難しく具体的な支援計画の策定や目標設定が困難になる可能性がある

ハンドブックが考える支援目標は分からないでもないが、「自律」という言葉を使ったことで、余計な混乱を生むのではないでしょうか。

ハンドブックへの本音(昨年12月)

昨年12月に名古屋でイベントに参加し、ハンドブックについても議論をしました。
この時はまだ、素案のみが発表されている状況でした。

ニュースタートはこれまで多くの自立者を送り出してきた経験から、経済的自立の大事さをお話しました。
気になる方は、参考までに読んでみてください。

【イベントレポート】ひきこもり研究者×公的支援者×民間支援者、厚生労働省による「ひきこもり支援ハンドブック~寄り添うための羅針盤~(素案)」への本音!はこちら

http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000026.000073259.html

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執筆者 : 久世 芽亜里(くぜ めあり)

久世芽亜里

認定NPO法人ニュースタート事務局スタッフ。青山学院大学理工学部卒。担当はホームページや講演会などの広報業務。ブログやメルマガといった外部に発信する文章を書いている。また個別相談などの支援前の相談業務も担当し、年に100件の親御さんの来所相談を受ける。

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