「普通の子どもに育てる」といっても、ただ公立学校一本やりだったわけではありません。
1980年代の受験体制から完全に逃げて、娘を育てるわけにはやはりいかないのが現実でした。
では、その体制の中で最小のエネルギーで、最大の効果をあげる方法とは何なのか――それを私は考えたのです。
幸い、娘は学校の成績が良かったことに加え、娘というのは中学校くらいから親の言うことを聞かなくなると予想していましたので、親の言うことを聞くうちに、そこそこの私立中学で、大学までエスカレーター式に行ける学校に入れようと考えました。
そのほうが、受験のストレスを与えず、のんびりと普通に育ちやすいと思ったからです。
そのために、千葉県の田舎の小学校から、五人の卒業生が私立の名門である開成中学に合格したという千葉県市川市内の公立小学校に、娘を転校させることまでしました。
妻にその小学校校区内のマンションを探させて、家族で引っ越しました。
さらに二年間、進学塾にも通わせました。
そして私の狙いどおり、娘はある私立中学に合格しました。
私も教育のプロを自認していましたから、レベルの高い小学校に通わせて、並行して進学塾に通わせれば、最終的に大学までエスカレーター式の私立中学には合格できるだろうと見極めたのです。
しかし、「なんだ、ほかの父親を批判しながら、自分もかなりの受験パパじゃないか」と思われては心外です。
私は日本の受験制度を熟知したうえで、娘を普通の子どもとして成長させるために、最小のエネルギーで最大の効果をあげる方法を実践しただけです。
しかしそれでも、けっして私の予想どおりに進んだわけではないのです。
案の定、私の娘も小学校六年生の後半から言うことを聞かなくなりました。
そのせいで中学受験で勉強をさせるのにかなり苦労しました。
そこをなだめすかしながら、なんとか私立中学へ入学させることができたのです。
その中学校は、伝統のある自由な校風でした。
ここはそんなに勉強する学校ではありません。
むしろ生徒には好きなことを見つけてほしいから宿題は出しません。
よい成績をとるより、子どもはいま、自分が好きなことを見つけるべきです――その学校はそんな教育方針だったのです。
だけど、かえって私の娘はそれで悩みだしました。
なぜなら、まわりの同級生、とくにその学校の初等部から中等部に進級してくる生徒は、小学校時代からそんな校風に慣れていたので、まだ中学生なのに、割と自分の好きなものが明確にあったからです。
それでなおさら、私の娘は焦ったのです。
自分に好きなものなんてない、と。
入学して一年間ほど、好きなことを見つけられずに苦しんだのです。
それから一年後。
私の娘は漫画を描くことを見つけました。
それによって、彼女はひとまず焦りから解放されたのです。
ただ、ここでも問題が生じました。高等部に進学する際に、
「私は漫画家で自立するから、高校に行く必要はない」
と主張しだして、私をひどく困らせたのです。
普通の子にするために、私なりに入念な戦略を練って、私立中学校に入れたにもかかわらず、やっぱり、娘も普通の子でなくなりかけたのです。
子育ての難しさを痛感させられた瞬間でした。
そのとき、進学しないとごねる娘に対して、私は最後にこう宣言しました。
「高等部に進学するなら生活の面倒をみるけれど、中等部でやめるなら、今後の生活の面倒は一切みないぞ」
親としての権力を最大限行使して娘にそう迫った(より正確に言えばそう脅かした)末に、高等部になんとか進学させたのです。
もし、あのとき、娘からそれでも構わないと反抗されていたら、と考えるといまでもヒヤヒヤします。
それぐらい、私にとっても窮余の一策だったのです。
娘も12~13歳頃に、その「自分の好きなこと探し」でとても悩みました。
しかし、その年齢でけっこう悩んだからこそ、高等部に進学してからは割と淡々としていました。
自分が好きなことを思い切りできる学習環境を娘に与えて、10代にひとつだけ好きなことをやらせる。
それで普通じゃない子になりそうになったら、父親としての権力を最大限行使する――そうやって、私は娘をなんとか普通の子どもに育てたわけです。
その後、多少の紆余曲折はあったものの、娘は普通の結婚をして、二人の子どもに恵まれ、普通の専業主婦として働いています。
少し話がそれて、私の個人的な話が長くなってしまいました。
しかし、私がただの評論家ではなく、娘の受験と子育てにあくせくした当事者としての経験談を、正直に書いておいたほうがよいだろうと思ったからです。
日本の子育ての構造は、まだまだ受験勉強中心です。
そこを完全に避けて通ることは残念ながらできません。
ならば、その体制を客観的に見て、そこを通過してでも普通の子どもにするにはどうすればいいか――それを親は頭を働かせて考える必要があります。
それには、周到な戦略と戦術が必要です。
それは盲目的な「受験ママ」「受験パパ」にはない視点です。
この章の冒頭で紹介した、私の同級生たちはみな盲目的でした。
彼らは当初、子どもの頃は伸び伸び育てたいと言っていながら、明確な戦略と戦術もないまま、ただ周囲の状況に流されて受験体制に突入していったのです。
「希望のニート」二神能基著 2005年6月2日刊行 より
このテキストは株式会社東洋経済新報社(以下「出版社」という)から刊行されている書籍「希望のニート」について、出版社から特別に許諾を得て公開しているものです。本書籍の全部または一部を出版社の許諾なく利用することは、法律により禁じられています。
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認定NPO法人ニュースタート事務局理事。1943年生まれ、早稲田大学政治経済学部卒。1994年より「ニュースタート事務局」として活動開始。千葉県子どもと親のサポートセンター運営委員、文部科学省「若者の居場所づくり」企画会議委員などを歴任。現在も講演会やメディアへの出演を行う。
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